martertan’s blog

気の向いたときに気の向いたことを❤

柔らかな微風になりたくて

人は、“慣れる”生き物だ

缶コーヒー1つ、道に咲いてた花1輪、の、ブレゼントに頬を染め感動していたのに、

それが毎日になると、当たり前になり、毎日でなくなることに、花束ではないことに不満を持つ。

“当たり前”に“日常”になってしまうと、謙虚さや、感謝を忘れがちになる。

 

もちろん、より良いものを求める向上心やたゆまぬ努力は必要だと思う。

停滞に甘んじることは、怠惰でもあると思う。

けれど、それは、己へこそ、向けるべきであり、他者に対価を求めるべきものではないと思う。

 

いきなり、偉そうに説教じみた話から始めてしまったけれど、

最近、Twitterを見てて、変わってしまった人たちが何人かおられることが悲しくて。

 

ずっと、ずっと、あの方の存在としてあまりにも少ないように感じてたお仕事に、それでも、心から喜び、歓声を上げ、何度も何度も咀嚼するように噛み締め味わい、賑わっていた優しいファンの方々。

そこは、本当に女神たちの楽園のように柔らかで暖かな空間で、皆さんのつぶやきを見るのが本当に本当に幸せだった。

 

けれど、ここのところ、関係のない事柄にまで“彼なら”とか、今のお仕事に対して“やめて”とか、言葉選びが適切でない方がいらっしゃるように思える。

気持ちはわかる。私も古株の方々には遠く及ばないにしても、彼のファン(寧ろヲタク?)のひとりだから。

どんなことにでも、彼のことを思ってしまう。

でも、それは、忌避し蔑んできたあちら側と同じことなのではないのか?

 

 

 

また、

彼が差し出してくれる、たくさんの🎁

たくさんの作品。

正直、ん? って、思っちゃうことも、ないわけではない(すみません。)

 

でも、

彼の歌の一節

 

”分かり合えない”の向こう側を見てみたくない?

 

が、とても、好きなのだ。

 

分かり合えない ではなく、わからない

なのだけれど、

 

私が、好きでない

と、思う、それ、の、魅力、が、何か?を、知りたいと思うのだ。

 

そして、それを見つけたとき、世界はまた更に広がるのだ。

 

じつは、これは、リアルに役に立っていて、

 

息子の好きだという音楽や映像を、理解するのにもすごく役立ってるのは、内緒だw

 

話がそれちゃったけれど、私は、たかが、いちファンにしか過ぎない。

 

彼の仕事、生き方の、マネージメントもプロデュースも、彼自身のが決めて彼自身が拓いていくこと。

 

私は、彼が、偶々見かけてくれた時に

 

あのラジオのように

 

『そうですか』と、ため息をつくのではなく

 

クスッと笑って読み飛ばしてくれるような、

 

柔らかなありふれた多くのファンの一人でいたいと思う。

 

そして、そんな、柔らかな言葉が、たくさん集まって、彼をそっと包んでくれたらいいなと思う。