いつか、と、今
ラストステージのでの、Beautiful Flower
の、中で
平野くんが叫ぶように歌う
「今!」
が、鮮明で、耳に残ってて
“今”という、言葉への思いについて、考えてて。
若い頃って、兎に角、“今”“直ぐに”なんて、思いがちなんだと、単純に思ってて、“いつか”叶うよ、なんて、諭されてたりしたんだけど、それだけじゃないんじゃないかな?と。
私達の若い頃だって、ついつい“今”って思いがちだったし、なんなら、もうとっくに“若い頃”ではない、私だけど、“今”できることを、“直ぐに”やっちゃう、勢いだけのところもあったりするんだけど(だから唐突に夜中に遠距離ドライブしちゃうのよw発作?w)
時代が、さ。
大きな災害がいくつもあって、戦争が遠い知らない国のことでなく、日本と関わりのある国のこととして存在し、理不尽に簡単にあっけなく、毎日のように、事件が起こり、人が、死んでいく、のを、体感してる“今”を、生きてる若い子たち。
経済も地球環境も不安で、
頑張っても未来なんて見えないのは、実は昔だって同じだったのかもしれないけど、
でも、可能性の芽を掴んだ子たちが、いろんな理由で、そのタイミングを逃す経験をして
少なくとも、努力を重ね、力を蓄え、今、飛び立たなければ、待ってる間に、その羽が、折れてしまうかもしれない、と、羽ばたくことなく、終わるかもしれないと、思ったなら
走り出し、飛んでいくのは、仕方ないことなんじゃないかな?と。
平野くん、前に話してたんだよね
人が死んじゃうんだと
知ってる人が、たくさん死んじゃうんだと
だから“死ぬなよ”って伝えるんだと
とても刹那的な価値観を持ってる人持たざるをえなかった人なんだと思う。
彼の“今”には、たとえ翼が折れても、力技ででも、、羽ばたいていきたい、という、思いも、あるんじゃないかな?と。
息子たちがね、やっぱり、そういう思考なんだよね。
もちろん、私の性格の影響も大きいんだとは思うんだけどw
できる間に、やろう。明日はできないかもしれないから、今やろう、なんだよね。
上の子は集団生活してるけど、その大切さや必要性を理解してるからできること。ちゃんとやってないと危険だし死んじゃうから。今を大切にしてるから、未来に繋がってる。
“今”って、大事なんだと思ってる。
やりたいことやるため
って、わがままに思われるし、言葉キツイけど、
私は大事なことなんだと思う。
夫々の“今”がある。
夫々の“未来”がある。
未来が違えたなら
今も変わる
それは、否定されることでも
責められることでもないはず
そこに痛みはあるだろうし、別れもあるだろうけど
攻撃されることでも否定されることでも無いはず。
夫々の未来は“今”は、二度とない“今”なんだから。
母ちゃんの“今”に自分の“今”をまる一日重ねてくれて疲れ果て、『明日はスプラトゥーンやるから邪魔せんといてな』と言い残し爆睡してる息子の部屋の扉を眺めて、そんなことを考えてる夜明け前。