求められる人
風間公親 〜教場0〜
最後まで凄かった。
一つの隙もない、展開。
原作も脚本も演出も演者も、セット一つに至るまで、感動しかなかった。
ドラマでなくてはならなかったような、映画でも見てるかのような、
刑事ドラマであり、ヒューマンドラマあり、群像劇であり、間違いなく“愛”と“成長”の物語であり
新しい“何か”が、生まれた瞬間に立ち会えたんだと思えた。
作品の余韻に浸りつつ
木村拓哉という人は、凄いんだな、と、改めて。
息の永い役者さん、作品作りに意欲的な方ほど、“監督”に、なられるケースもあると思うんだけど、彼は、ずっと“演者”なんだよね。
でも、企画の段階から、参加してる。
“演者”の立場で最高のパフォーマンスをし、周りのパフォーマンスも上げていく。
経験と培った信頼や縁で、彼と同じ思いを理想を描く彼が信頼できる監督がスタッフが役者が、集い、新しい物を皆で作り上げていく。
これは、一朝一夕で、できることじゃないんだよね。
一つ一つの積み重ねによる、今。
そして、彼は、木村拓哉という人は、言うんだよ。心から思ってるんだよ。良い出会いがあったからだと。
本人が篩にかけてなくても、
その側に居続けるには、己の誇りをかける覚悟がいるような気もするけれど。
彼と触れることで“自分の中に確かにあった何か”に気づき、更に伸びていく人たちのほうがたぶん多いんだと思うけど。
先日、木村さんが、インスタに、ふと、残した
“しなければならないことを”の言葉に
深い意味があるんだろうと思ってる。
したくないことをする んじゃない、したいことをする んじゃない、しなければならないこと。
色んな“声”も、騒動も、きっと、耳に入ってて、でも、“それ”について、口にすることは、彼の立ち位置、存在、として、しなければならないこと、ではないんだろうなと思う。
彼が“しなければならないこと”と言うのは、1“演者”として、“作品”を、“感動”を、“笑顔”を、届け続けること。“現場”に立ち続け、そこで責任を果たせるよう入念に準備をすること、なんだろう。
その揺るぎない立ち位置が、姿勢が、生き様が、彼という稀有な“存在”を、作り上げてるんだろう。
それでも、だからこそ、彼は、言うのだろうな。
俺は“普通の人”と。
毎日、自分の仕事をし、家族を愛し、休日には仲間と趣味の時間を楽しみ、辛いこと苦しいことは、一人で消化して、周りに感謝して、生きて働く、普通の人間。皆が当たり前にしてることを、普通にしてるだけ。と。
だからこそ、彼は輝いてるんだろう。
人が彼に惹かれるんだろう。
揺るがず普通に生きること、そのものが、大切なんだと、美しいんだと、教えてくれるから。
彼は“スター”という言葉でも、括れない。
彼は、その名は、ひとつの“伝説”なんだろう。
同じ時代に生まれ、彼を見続けられることに、感謝。
求められる限り
と、言ってくださった
ずっと、ずっと、求められると、思う。
彼が、彼で、ある限り。