いただきます。ごちそうさまでした。
両手を合わせて「いただきます」「ご馳走様でした」
ゲームのキャラクターにまで再現される”あの方”木村拓哉さんの、ファンの方々にとって見慣れた当たり前の姿。
ハンターの振る舞ってくれた鹿の生レバー丼を最高メニューに選ばれ、その“食べ物”に出会ったシュチュエーションと心情を擬音も多用し全身を使って伝えようとされる。そこに見えるのは、”それ”を与えてくれた人と生命への感謝と感動。無垢な少年のような敬虔で柔らかな心と姿。
ファンの方々が愛してやまない、木村拓哉という存在の魅力。
害獣として弑された鹿や猪のお肉を食べることについての賛否について書かれた記事を先日見かけて考えたこと。
私は田舎者で、小さい頃はジビエが生活の中に当たり前にあった。猟師さん経由の猪や鹿だけでなく、家で飼っていた紀州犬が咥えて帰ってきた雉や山鳥なんかも食卓に乗ってた。ワンコがお肉にしてくれてるはずもなく、それらの戦利品を加工するのも家の裏手で家族がしてた。
生き物を食すること、自分たちの食べ物に、なってくれること、に、感謝すること、ありがたいと思うこと、は、当たり前のことだった。もちろん、それは、農作物も、山の恵みも、海の恵みも、同じこと。作ってくれた、採って(獲って)きてくれた、食べ物になってくれた、全ての事象に、生命に感謝して、『いただきます』と『ご馳走様』があった。
今は生活も変わり、生命を屠り食することは無いけれど、息子たちには小さな頃から、お米ひと粒も、種として蒔かれていたなら多くの命をつないでいたのだと、お魚もお肉も、草も実も、生命なのだと。それらを食して自分たちが生きているのだと話してきた。
『いただきます』『ご馳走様』
ともすれば、忘れがちな、一番大切な原点だと、私は思う。
だからこそ、木村さんが、スターであり、どんな贅沢もどんな美食をも、手に入れられる存在が、その原点を、体現し続けてくださってることが、とてもとても尊いと思う。
『ありがとう』と感謝して
『いただきます』
残さず無駄にせず『ごちそうさまでした』